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スラウェシでの日々の出来事をつらつらと書いているだけのブログ。
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考えれば、後編を忘れていたので、とりあえず、簡単に。

帰国の日が迫ってきて、約4日前ぐらい。

ゴロンタロから帰国してかなりだらけていた。
約2週間前には出さなければならなかった書類があったのだが。

遅くなってしまった。何をすればいいのかそして、何を出すのか、まったくわからんので、とりあえず、いつもお世話になっている kator imigrasi makassar に向かう。

ぐえっ!!

書類を受け入れ先の大学から取って来いと言われる。書類名はepo: exit permit only。

だからさー。最初に言っといてよ、そういうのはさ。

帰国の日まで残り3日。
事務局へ行き、書類を出してもらう手続き。一日では出ないだと?!しかし、とにもかくにも急ぎであることを告げると、なぜか、その日のうちに仕上がる。

それなら最初から1日で仕上げてよ・・・。

ということで、その書類と、kantor imigrasi makassar事務所近くの売店で、形式的な書類を来た時のようにまた買う。

その書類をまとめて、提出。以上。

提出書類は、以下の通り (だったはず)。
1. epo: exit permit only
2. パスポート
3. 形式的な書類一式。

出したら、次の日に取に来いとのこと。ちなみに次の日は、帰国の日 (笑)
帰国の日のお昼1時頃取に行って4時半の便に乗り込む予定。

だが、しかし、ここで、やはりインドネシアという事態が!!!
書類がまだ出来上がっていないらしい。ふざけんなや。約1時間かけて出来上がる。

時刻はたしか2時半ぐらいか3時。空港までは30分ぐらいかかった。
結果、ぎりぎり3時半から4時の間に到着し、何とか事なきを得た。



ということで最後の後編でした。

次からは、もっと早くに書類をもらって出すことを心がけよう。うん。

次は、社会文化ビザの取り方について書いておこうと思う。
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さてさて、インドネシアから帰還して1ヶ月が経ちました。
それでは、インドネシア(マカッサルでの)行ってからの取得の流れを書いておきたいと思います。

実際には、RISTEKへ行って、地元警察や市役所、県庁への調査許可書類を作成してもらわなければならないが、今回、これについては、カウンタパートとして受け入れていただいたAgnes先生のご好意によって、Agnes先生のRISTEKの知人の力で、書類の手続きが済んでしまったので、RISTEKへは行っていない。

ちなみに、これのための申請料金が Rp. 1.195.090 (12000円)で、手数料がRp. 1.500.000 (15000円)であった。

まぁ、ジャカルタのRISTEKまで行って書類申請に時間およびお金がかかるよりも良いのかなぁと。

以下からその辺の書類を手に入れながらのKITAS申請について書いていきたいと思います。

KITASの申請・取得。
この申請は、インドネシアに入国後1週間以内に行わなければならない。

赤で書いたのは、私が2日ほどoverしてしまったので。
ちなみに1日overするごとにRp. 200.000 (2000円)取られます。私は2日だったのでRp. 400.000 (4000円)持っていかれた。気を付けてください。

KITASを手に入れるために、まずは、そのKITASを手に入れる地域の入国管理局 (Kantor Imigrasi)へ行かなければなりません。私の場合はマカッサルでした。
申請書類は、以下の通り (ちなみに、原本は確保しておく方が良い。後々いろいろあったときに困らないように)。

1. 入国管理局の近くにあるお店でKITAS用の申請書類 (書類を挟むファイル1部があって、その中に2枚ぐらい記載するための紙が入っている)。
これのお値段が大体、Rp. 30.000 (300円)ぐらいだったはず。買うときは、たしかformalと言って買った気がする・・・。

2. UNHASのrektor 事務局 (ハサヌディン大学)からの書類1部 (surat permohonan Alih Status dari VITAS ke KITAS) + カウンターパートの方 (ここではAgnes先生)の個人を特定できる証明書?のコピー (カードみたいなもの)
事務局にいって、書類を作成してもらうように申請する。大体その日のうちにできるが、時折、2日ぐらいかかることもあるみたい (この場合は、急いで作ってくれと言えばなんとかなる)。

3.写真4X3 1枚(だったかな?もしかしたらもっといるかもしれないし、サイズが違うかも)。

4.パスポートを提出する。

5.調査visa取得の際にRISTEKから受け取った書類1部 + RISTEKからのSURAT IZIN PENELITIANの書類1部。

と上記の書類を提出し、そして、申請料金を支払う。Rp. 405.000 (4050円)。
今回、半年で申請を出しているので、それ以外の申請料金はわからない。

とりあえず、申請書類を出した後、その3日後ぐらいに写真撮影および指紋採取をするために、もういちど行く。それから2日後ぐらいにKITASが出来上がるのでパスポートおよびKITASを受けとる。
おそらく、KITASができるまで1週間ぐらいかかった気がする。

できあがったKITASのコピー等をUNHASの事務局へ提出。
しかし、この時、事務局の責任者 スリさんから警察署に行って、調査許可カードなるものを作成してもらって来いと言われ、できたらそのコピーを持ってきてねと言われる。

届くまでに時間がかかっていた (2週間ぐらい)けど、RISTEKから届いた書類をAgnes先生から受け取り、それを持って以下の3つの役所に向かう。
書類の中にはそれぞれに提出するための手紙が入っていた。

1.Polda 警察署へ
かなりの時間を奪われた。書類を提出すると、担当のおじさんがいくつかの書類を書けと言ってきた。そして、書き終わると、その書類の処理を行い始めて、それに対して少し時間がかかった。処理の終わった書類をもって、また、別の部署に向かう。そこで、両手の指紋を採取される。採取された後、また、その書類をもって、一番初めにいた部署にもどって、手続き終了。最後に、申請料金を支払う。最後に、担当のおじさんから連絡先を教えていただき、出来たら連絡すると言われる。できたのはおおよそ1ヶ月後であった。

2. Gubernur 州知事へ
書類を提出後、いつからいつまで調査したいのかなどを聞かれる。これを提出しに行ったときは、私自身のインドネシア語レベルが信じられないぐらいしょぼかったので、Nhiniさんにお手伝いしてもらう。担当が対応しているとばかり思っていたが、担当のお偉いさんがいなくて、書類を作成してもらえるまでだいぶ待たされた (要はサインをもらえないので完成しなかっただけ)。

3. Walikota 市役所へ
ここは、けっこう楽勝であった。とりあえず、提出場所がわからず、人に聞きまくる。少し日本語のできるインドネシア人が提出場所まで連れて行ってくれた。書類を提出してから約1時間以内で作成された3つの書類を受け取る。
I.Gubernur
II. Polda
III. Tuntala 軍隊

ということで、また、書類を受け取り、それぞれの場所へ向かうことに・・・
新しく受け取った3つの書類は、提出だけなので1日ですべてを済ませれた。

なんだかんだで、初めての申請だったので1ヶ月ぐらいかかってしまった。
おそらく、順序良く、うまいこといけば、1、2週間で終わると思われる。

あとは、帰りに提出しなければならない書類等について書こうと思います。
後編つづく。
さて、さすがに、そろそろ記憶も薄らいできてしまいそうなので、調査visaの取得の流れを大まかに書いておこうと思う。自分のためにも。

1. 調査visaの流れの書かれたpdfを手に入れる。
RISTEKのHPにUPされているpdfがあるので以下のURLからダウンロードする。
http://www.ristek.go.id/?module=File&frame=lain_lain/frp/BUKU%20Prosedur%20FRP%202012%20_ENGLISH%20VERSION%20%2017%20JULY%202012_.pdf
先ほど、確認したところ、7月20日にpdfが更新されていたが、基本的な流れは変わっていないように思う。

2. pdf内にある調査visa取得のための書類14個を集める(これは、2011年7月11日から使用されてきた形式を用いているので、現在とは中身が少し異なる)。まずは、書類について。
とりあえず、今回は、赤字を付けた物以外をすべて揃えた。
青字を付けたものは、時間のかかったものである。

I. RISTEKへの公式書類1部を提出(この書類のコピー1部をvisaを取得する領事館へ提出)
II. 調査のタイトル、目的、方法、調査場所、期間を含む調査計画書のコピー1部
III. 調査計画書の摘要のコピー1部

IV. 調査者のパスポートのコピー1部(有効期限が少なくとも6ヶ月以上あるもの)
V. 調査者の履歴書のコピー1部(学術論文などがあれば、それも含める)
VI. 背景赤の証明写真4部(4x6 cm)
VII. MoUとMTAという書類(サンプルを持ち帰るための書類らしい)
VIII. 調査者の所属する機関からの推薦書1部と調査者の管理者あるいは、教授からの推薦書1部
IX. インドネシア領事館からの推薦書1部
X. カウンターパートからの調査協力書1部

XI. 健康診断書1部
XII. インドネシアにおける調査および生活面における金銭面の保証書1部(所属機関からの)
XIII. 調査の際に使用するであろう器具および道具のリスト1部
XIV. 調査者の配偶者および子供を連れて行く場合の書類1部


正直、この書類集めがなかなか時間のかかる作業であった。
12月中旬から始めて2月初旬にすべての書類が揃った。約2ヶ月。

この書類を集めて再チェックしてから、すぐさま、RISTEKへpdfで書類を提出。いちお、カウンターパートのUNHASのAgnes先生の下にも送った。

3月中旬になって、やっとRISTEKから連絡が返ってくる。約1ヶ月と半月。
どうやら書類審査のための会議が1ヶ月に1度しか開かれないので時間がかかったようだ。

ちょうど、マレーシアに行っていたのでメールを返すことが出来ず、3月下旬になってすぐさま連絡を返した。

RISTEKからのメールの内容としては、“審査に通ったので、visa325をどの領事館で取りたいのか、すぐに連絡をください”とのことだった。

愛媛からもっとも近いインドネシア領事館は、大阪だったので、大阪で取得する旨を伝えた。

約2週間後の4月の1週。連絡が返ってこないので、いつ大阪でvisaを取得できるのかを大阪の領事館に連絡をする。

しかし、まだ、出来ていないと言われ、心底不安になる。4月15日に出国することを想定していたのだが、visaが取得できなければ、航空券を購入できない。

その電話から3日後。RISTEKから連絡があり、大阪領事館でのvisa325の取得の準備が整ったと。

念のために、大阪領事館に連絡して聞いてみる。
どうやら、visaが来ているようだ。
ここで、初めて聞いたのだが、visaを受け取る際にvisaの入国審査書類を作成してくる必要があるらしい。

これは、大阪領事館のHP内にあるフォーマットを用いて欲しいとのこと。
http://www.indonesia-osaka.org/ja/layanan-publik/visa/ ← この中の滞在visaを参照のこと。

聞き忘れたことがあったので、再度大阪領事館へ連絡。内容は、入国審査書類を提出後に、visaの受け取りにどのくらいの期間がかかるのか?ということである。

書類を受け取ってから、受け取るまでに1日がかかると知らされる。


その時点で、出国日を4月19日に設定し、逆算して、18日の朝大阪入りし、領事館に書類を提出し、次の日の朝visaを受け取り、お昼の便に乗ることを想定した。

行く前に、圭三さんにたくさん写真を持っていけと言われていたので、4x6 cmと4x3 cmの写真を10枚ずつ準備し、持っていく。

と、ここまでがvisaを受け取るまでになります。
これ以降も、実は、結構大変であった。それについては、これ以降の記事でまた書いていきたいと思います。

※調査visa取得のために使用した私の書類等の画像を後程、入れていきたいと思いますので、しばらくお待ちください。
さて、スラウェシでの日々の更新を続けてきたこのブログですが、日本に帰ってきてしまったので、来年1月(かな?)にスラウェシへ行くまで、一時閉鎖(ただ、書き込まないだけ)します。

その前に、自分が忘れないために、もしくは、他の人のために、調査VISA取得の流れと帰るための書類の流れを書いておきたいと思います。

次記事以降でその流れを書いていこうと思いますので、いましばらくお待ちください。

加えて、マカッサルで生活していた時に、いくつかのpete2(乗り合いバス的な)の路線をgoogle mapに作成したので、それもupしたいと思います。

3ヶ月、あっという間に過ぎて、日本に帰ってきて残念な面もあります(人柄が良いとか、物価安いとか、いろいろと適当なところとか・・・)が、喜ばしい面もたくさんあります(うるさくないとか、町がきれいとか、ご飯がおいしいとか・・・)。

スラウェシで生活している中で、多くの方々に手助けをしていただきました。そのことが一番印象的で、かつ感謝したいことです。

また、来年も行く予定なので、みなさんにお礼参りに行ければなぁと思ってます。

取り急ぎ報告まで。
この日は、2つの大イベントがあった。

1つは、サマロナ島にJICAの若い方々と行ったこと。

もう一つは、廣田家で余った食料を使って大量に料理をしたことである。

サマロナ島は、マカッサルから船で約30分ぐらいのところにある島で、観光地として有名らしい。



JICAの皆様(南スラウェシの方々)が一同に会して、行われるサマロナ島観光ツアーに同行させていただいた。

以前に、知り合いになっていた五十嵐さんからのお誘いで行けることになった。ありがたい。

すごく、小さな島で、周りの海はすごくきれいだった。しかし、そこに住む住人たちは、お金儲けのために積極的だった。めんどい。

ただ、座るためだけの場所代でRp. 50.000(500円)。高くないか?だが、他の人がその値段で払ってしまっているので、変更はきかず。まぁ仕方ない。

そして、泳ぐ準備を整え、海に向かう。さすが、JICAの方々、シュノーケリンググッズをちゃんと準備して来られている。かくいう私は、サンダルすら持っていない。全て(服以外)をお借りした。



島に泳ぎに行ったけれども、実は、私は、海が嫌いである。なので、ちょっと、潜ってすぐに逃げ帰ってきたのはここだけの話だ。

ちなみに、今回持って行ったカメラは防水12 mなので海の中でも撮影してみた。

うーん。魚を撮るのは、なかなか難しい。



その後、カメラを松山さんという方にお渡しして、海の中の写真を撮ってきてもらった。
以下数枚は、松山ゆういちさん撮影のものです。





海泳いで、ゆったりして、さて、帰るかと思った矢先、スイカ割の準備が始まった。





そういえば、今考えると、海でスイカ割なんか、初めてなんじゃないか?たしか。
海を避け続けてきたので。

JICA手ぬぐいを使って目隠しをして、じゃんけんで負けた松山さんがスイカ割に挑む。








・・・。一発で成功。



終わってしまった・・・。

が、それでも、やるということで、マサヨさんが挑む。



・・・。失敗。

ちなみに、その後、私もやったが、失敗だった。意外と難しい。

とりあえず、料理担当の杉本さんに切ってもらって、スイカをいただく。



その後、ノリでビーチフラッグもやることに。





とかいろいろやって、半日を楽しく過ごした。一つだけ残念なのは、島に虫が少ないことだった。



発見したのは、ゴミダマとバッタとアリモドキぐらいだった。まじめに探せばもっと採れるとは思うけど・・・。



そして、マカッサルへ戻った。





帰りに、いつも行く店(KAORIの近く)で、Nasi udukを買って帰還。家で、お昼寝。

お昼寝していると、慧子やんが訪ねてきた。

ここで、話し忘れていたことがあったので、付け加えておく。
7月7日の夕方に廣田先生が徳島へ帰られたので、家には私一人で生活している。

残った食材をすべて使い切って、日本に帰らなければ、廣田先生が帰ってこられるころには、多くの野菜と食材がいい具合に臭くなっているだろう。

なので、必死で料理して、食材を減らしていった。やはり、一人では、多すぎたので慧子やんにも、食べるのを手伝ってもらう。

余った食材の中で、最も調理困難だったのが、白玉だんごだった。





最終的には、ピザ風もしくはラザニア風の料理になって、すごくおいしく食べれた。



あとは、ニンジンが大量に余っていたので、玉ねぎと鶏肉をつかって、カレーを作成。

しかし、ここでも予想していなかったことが起きた。カレーのルーって売ってなくない?

しかたなく、やったことないけど、ウコンとコリアンダーとシナモンの粉末を買って、味を見ながら作成してみた。



意外とおいしかった。適当でもなんとかなるもんだなぁ。



いろいろとくたくたですぐに寝てしまった。
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